先日、山口県の萩市を訪れる機会がありました。萩といえば、幕末に長州萩城下に存在した松下村塾が有名です。吉田松陰が指導した塾生の中からは、明治期に現代日本の礎を興した要人を数多く輩出したことで知られています。
今も残る松下村塾の塾舎。私はただ史跡を眺めたい、そんな気持ちから訪れただけなのです。そこには現代に企業が備えるべき、経営の本質を考えさせる数々の歴史的逸話がありました。今はすっかり松下村塾に魅了され、逸話の紐解きに夢中になっています。
今回は、「社員の自発性を育てる会議のあり方」を、松下村塾から紐解いてみましょう。
コの字型に並んだ高杉晋作と伊藤博文
松下村塾自体はあまりに有名ですから、そのものの説明は簡単に済ませましょう。他塾と異なる絶対的な特徴は、松下村塾が身分の隔てなく塾生を受け入れたことです。武士も農民もひとつの塾舎に集まり、共に議論する学びの場でした。その塾舎は木造瓦葺き平屋建て。当初はたった八畳の小舎からはじまり、まさに顔と顔を突き合わせて議論を交わしたといいます。
数年前、松下村塾で塾生が活発に議論する様子を捉えた当時の絵が発見されました。その絵には、机が「コの字型」に並べられていたのです。コの字の喉元には吉田松陰がいます。塾生達は前方左右に顔を見合わせ、自由闊達に議論を交わす様子が伺えます。
私は、このような推測をしました。喉元に座る松陰は、塾生の自発的な発言を喚起するとともに、議論のプロセスに関与する役割を果たしていたのかもしれません。まさに、会議におけるファシリテーターです。塾生が議論に集中でき、課題解決へのプロセスを考えるのに最適な仕組みが、松下村塾には存在していたのではないでしょうか。
八畳の狭い部屋に塾生が集い、身分に関わらず、顔を見合わせて座る。どの位置からでも発言者が見やすく、互いに円滑な議論を交わすことが容易な環境です。講師対塾生全員が向かい合う、対面式の寺子屋スタイルではありません。松下村塾は、日本の議論のあり方に革新を与えたのだと、私は感銘を受けました。
「我々が捉えるべき問題の本質は何か、それに対して個人は、日本はどうあるべきか」
吉田松陰は、この主題を塾生自らが考えて、国難に立ち向かう心得を身につけるよう、塾生に求めたのではないでしょうか。松下村塾が開かれた期間は僅か2年。たった90名余りの塾生から、藩論を倒幕にまとめ幕府を打ち破った高杉晋作、初代内閣総理大臣の伊藤博文らを輩出しました。彼ら数多くの要人は、維新回天や明治の富国強兵の原動力となっています。
ところで、塾生は皆、天賦の才能を持っていたのでしょうか?
吉田松陰は、誰もが知る塾生2人をこのように評しています。
高杉晋作「見識はあるが学問が未熟で、性格はわがままであり、自分の考えに固執する」
伊藤博文「才は劣るし、学問も幼い…」
会議は経営ビジョンの達成と難局を解決するプロセス
時は進み、コの字型レイアウトの会議は、当たり前に見られる風景になりました。当然、レイアウトが良いだけでは、会議の内容までブラッシュアップに至りません。あなたは会議で、こんな悩みを抱えてしまっていませんか?
- 発言は、いつも経営者や管理者ばかり
- 時間通りに終わらない上に、結論はいつも先送り
- できない理由や無駄話ばかりが飛び交う
会議を意義あるものにするには、あらかじめ目的に到達する進め方を、仕組みとしてデザインする必要があります。そのデザインには、いくつかのコツやスキルが必要です。ひとつ言えるのは、会議は経営者や管理者が求めるテーマの、社員向け説明会ではありません。課題解決のための議論を交わし、討議しながら社員の考える力を引き出すプロセスのひとつだと、私は思います。
吉田松陰も、国難に立ち向かう課題の解決策を塾生に考えさせるため、議論を進めるデザインを松下村塾に描いていたのかも知れません。実際に、松陰は一方的な説明重視の授業をほとんどしなかったといわれています。
あなたの会社の会議はどうでしょうか。
経営ビジョンや目標に対し、課題解決へのデザインが描かれていますか?
社員が自発的な思考を持ち、議論できるステージを創出できていますか?
「我が社の問題の本質は何か、それに対して社員は、組織はどうあるべきか」
こんな考えを持った社員が増えるほど、あなたの企業を支える「要人」を輩出します。
私達は、そのためのお手伝いができる中小企業診断士のチーム「FYS」です。
石井 伸暁
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